六盤水市

梭嘎長角苗族生態博物館

2021-02-16

翻訳:郭 沢雄

修正:宮澤 詩帆

指導:王 暁梅、楊 梅竹

監修:姚 武強


梭嘎苗族生態博物館は貴州省六盤水市六枝特区と織金県との境を接してる梭嘎郷の隴嘎寨内に位置し、海抜が1400メートルから2200メートルで、面積が120平方キロメートルである。十二のコミュニティ(自然の村)を管轄し、総人口およそ5000人で、六枝特区政府から40キロメートル離れている。梭嘎生態博物館は中国の元首であった江沢民総書記とノルウェーの元首であるハーラル5世が共に署名した文化プロジェクトであり、1998年10月31日に築き上げられて開館した。アジア初めの民族生態博物館だが、高い山にあって、水資源が乏しく、自然条件が極めて悪い。ここにある長角苗の寨は山に沿って築かれ、土による壁、藁による家屋、昔ながらの風景が広がる。人々は日の出とともに起き、日の入りとともに休むという生活を送って、古くからの民間の風俗や民俗が完全に保たれてきて、深い民族文化を持っている。長角苗の女たちは紡績し布を織り、蝋染めし刺繍して、糸を走らせて美しい服装を縫製している。生態博物館が建立される前、長角苗人はとても貧しく、昔ながらの暮らしを続けていた。



梭嘎苗族イ族回族郷は六枝特区の西北部、烏江水系三叉川中部の北坂地帯に位置し、特区人民政府から32キロメートル離れた場所にあり、東部は新華郷を接し、南部は岩脚鎮に隣り合って、西部は新場郷と牛場郷に臨み、北部は畢節地区にある織金県の鶏場郷と阿弓鎮と隣接し、六枝枝特区の西北大門だと言える。長角苗は梭嘎の高い山にある十二の寨で暮らし、六枝の対外の特殊な民族と言えるだろう。長角苗族は100以上の支族に分かれている苗族の中でも、特に特徴のある文化や言葉、衣装などを持っています。長角苗族の女性の衣装から長角苗族の歴史を読み取ることができ、頭飾りからはより多くの歴史を読み取ることが出来ます。


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彼らは海抜約2000mの山の奥地で集落式の生活を営み、外部とはあまり接触せず今日に至るまで角の髪飾りをシンボルとし、独自の音楽や舞踊、刺繍やロウケツ染めなどの民族文化を後代へ継承してきました。


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彼らは主に男性が土地を耕し、女性が布を織るといった自給自足の生活を営んでいます。婚姻は主に民族間だけで行われ、長角苗族の青年男女が恋人を見つけるための祭りである「跳花節」が年に一度開かれています。長角苗族は質朴な暮らしを好むことから彼らの社会は古代からの伝統的民主主義で成り立っています。さらに長角苗族が冠婚葬祭の際に礼儀を固く重んじことも長角民族の一つの特徴と言えるでしょう。


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「生態博物館」という概念は70年代にフランスで誕生し、当初は絶滅した文化の追憶と復元を目的としていましたが、後に文化遺産の真実性と完全性、さらに原始性の保護・保存が主な目的となり、90年代に中国に伝わりました。


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隴嘎村は中国の貧困地区に属している。国家は地区の貧困脱却を目指して、多くの政策を打ち出した。基本的な貧困者支援開発、貧困者の移転、教育上のターゲットをしぼった貧困支援などの政策のほか、政府はまだ隴嘎にある旧い家屋の改造や新しい村の建設準備などのプロジェクトを支援している。生態博物館の建立と開放も土地の人々のために稼ぎや蝋染め、刺繍などのものを売る機会を提供している。


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梭嘎長角苗に関する調査はすでに一定の成果を得た。藩年英は2000年に梭嘎生態博物館にフィールドワークを行い、従来的な文化芸術の保存や保護の問題を検討した。張応化は2002年に長角苗の音楽について考察をして、その文化生態と美的意識の心理特点を分析した。李洪濤は2007年に梭嘎苗族の文化を研究して、生態博物館の起源、背景、概念、役、そして生態博物館と箐苗の寨との関係、生態博物館が生態環境や文化保護に対する意味を明らかにすることを目指した。呉昶は2007年に長角苗の建物文化及びその変遷を研究した。安麗哲は2012年に梭戛苗族の結婚と恋愛の習俗に対してフィールドワークを行い、その自由恋愛と親に取り決められた結婚の間のパラドックスの根源を探した。余暁光は2014年に長角苗文化の多角的な伝承について研究して、いかに現代教育技術をもって少数民族文化の伝承を支えるか、その答えを探した。羅雨昕は2018年に隴嘎苗族文化の変遷を研究して、多方面から箐苗文化変遷の原因を反映した。