福泉古城垣は貴陽市から110km離れた山に従って造られた城垣で、周囲の長さ4700m、高さ7m、幅3mの規模をもっています。この城垣は1381年に造られ、今日に至るまで約600年以上の歴史を持ってます。造られた当初は土で造られた城でしたが、1401年に石によって改築され、後に重要な軍事施設となりました。1449年の苗族の武装蜂起により、包囲され、城内に住んでいた兵士や住民、それに家畜達は食料不足のために、そのほとんどが全滅しました。その後の1465年から1487年の22年間にわたって張能は城壁を造り、川から町へ水を引き、それによって戦の最中でも城内に給水することができるようになりました。1603年に貴州の総兵である安大朝は以前に造った城壁の外に、さらに183mの城壁を築き、川を城内に取り込み、戦争の時でも不自由無く水を確保できるようにしました。福泉古城垣は内城、水城と外城から構成されており、三つの城壁に囲まれており、階段の造りに似た防御線が形成されていました。福泉古城垣は軍事、建物、地質、水文などの方面から研究しても、とても興味深く「古代中国究極の城壁」と評価されています。