民族文化

苗族の姓

2021-02-18

翻訳:陳 応梅

修正:宮澤 詩帆

指導:王 暁梅、楊 梅竹

監修:姚 武強


苗族には2種類の姓があり、1つは苗姓であり、もう1つは漢姓です。苗姓はもともと固有であり、漢姓は後に入力されたものです。ミャオ族は過去に自分の苗字を文字で書く習慣がありませんでした。漢姓だけを文字で書いていたので、苗姓があることはあまり知られていませんでした。


苗姓の歴史的由来は大きく3つに分類できます。


一つ目は、遠い昔の氏族集団と首領に由来します。例えば、湘西方言ミャオ族の中の「仡濮」という姓は、先秦時代に湘西と武陵五渓地区に集まった古濮人と関係がある可能性が高いです。「仡驩」は、舜によって湘名称です。西崇山に追放された驩兜という姓を得て、この苗姓は今でも驩兜を自分の先祖としています。考証によると、湘西ミャオ族十二姓のうち、「仡徠」「仡恺」「仡轲」「仡侨」などが、いずれも太古のミャオ族の首領と氏族集団名であり、その後ミャオ族の名字に発展しました。また『ミャオ族史詩遡河両遷』によると、ミャオ族の先人は「方」「柳」「恭」「希」「福」などの先祖を率いて、西は黔東南地区に移り、牛を殺して祖を祭った後、台江、剣河、雷山などに分散して定住し、それぞれの異なる宗支と姓氏に発展したといわれています。今でも伝わっている「寨方」「寨柳」「寨勾」などの苗姓は、明らかに相応の先祖の名前に由来しています。


二つ目はトーテムミズムに由来している名称です。ミャオ族のある支系は、ある種の動植物を自分の保護神とトーテムとして崇拝し、その動植物の名を苗字としました。例えば西部方言の苗語は羊とヤギを「雌」と呼び、苗姓の「蒙雌」、および「卯」「姆赤」は、羊と関係があるといわれています。この姓と支系の苗族は長期にわたって牧羊を主業とし、羊と縁が深かったので、羊をトーテムとして崇拝し、その後、羊(雌)を姓とし、「蒙雌」あるいは「卯蚩」、「姆赤」と呼ばれました。また、西部方言ミャオ族の言葉は「竜」を「绕」と呼び、苗姓の「蒙绕」と「姆绕」、「卯让」は、「竜」への崇拝に由来しています。ミャオ族という支系と姓は、歴史的には「竜」を自分の保護神とトーテムとし、「绕」を姓としていました。彼らの子孫は今でも「竜を迎え」「安竜」の伝統を残しており、「竜」を尊敬しています。


三つ目は、祖先の居住地の名を由来している名称です。例えば黔東南福泉などの苗族で流行している「喀编给」「喀乾打」「喀编打」「喀香卡」「喀往觉」などの苗姓は、その中に「编给」「乾打」「编打」「香卡」「往觉」など、すべて元の祖先の居住地の苗語の地名であり、今でも踏襲されており、苗族内部の宗支名と苗姓に進化しています。


中国のミャオ族は、現在では漢姓が一般的に使用されており、漢族の苗字の多くをミャオ族の中で見つけることができます。


東部方言地区、湘西の鳳凰、花垣、吉首などの苗族は、呉、竜、麻、石、廖を五大姓としています。黔東の松桃、銅仁などの苗族は、呉、竜、麻、石、田(あるいは白)を五大姓としています。また、楊、張、趙、欧、伍、劉、梁、施、羅、王、邓、満、滕、胡、向などの姓もありました。


小郎方言地区は、例えば剣河県で、苗族には楊、竜、王、李、張、姜、呉、劉、万、彭、潘、羅、黄など数十の姓があります。このうち楊、龍、王、李は四大姓であり、人口はいずれも1万人以上です。福泉県は、中部方言を話し苗族で、呉、潘、文、雷、竜、楊、王、劉、宋、張などの52の漢姓があり、その中で呉、潘、文、雷、竜、楊などの姓が主です。また筆者の調査によると、雷山県の苗族では、漢姓は張、白、韓、向などがあり、張姓の人数が最も多かったです。


西部方言地区は、東北次方言の貴州赫章県苗族に属し、主に16の漢姓、すなわち李、羅、汪、王、張、安、楊、韓、朱、潘、陶、呉、蘇、馬、龍、陸などです。威寧県の苗族は、朱姓を大姓とし、その他は人口別に張、王、李、雷、韓、龍、呉などの姓です。川滇次方言の雲南文山地区の苗族は、楊姓の人数が最も多く、次いで馬、李、陶、熊、項、王、呉、人数が最も少ないのはトウ、劉、宋などの姓です。