翻訳:郭 沢雄
修正:宮澤 詩帆
指導:王 暁梅、楊 梅竹
監修:姚 武強
補筆・修正:CJ NaoTo
長角苗族の「跳花坡」祭りについて
長角苗族(ちょうかくみゃおぞく)の「跳花坡(ちょうかは)」祭りは、「跳花節(ちょうかせつ)」とも称され、祖先を敬い偲ぶ重要な祭祀であると同時に、未婚の若者たちが蘆笙(ろしょう)と呼ばれる伝統的な管楽器を奏でながら愛を伝え、意中の相手を見つける、いわば“苗族のバレンタインデー”とも言える華やかな行事です。
長角苗族にとって年間最大級の祝祭であるこの祭りは、清朝・康熙帝以前から中国南西部・貴州省で盛んに行われてきました。現在もその姿を保ちながら、豊かな民族文化と人々の絆を育み続けています。
跳花に関する記録は古くから数多く残されており、明代・弘治年間(1488〜1505)に編纂された『貴州図経新志』の「東苗」「西苗」の巻には、「その風習として、男女が集い、歌い踊って『跳月』と称する。互いに心が通じ合えば、結婚に至る」と記されています。
また、清代の学者・愛必達(アイビーダー)による『黔南識略』巻二には、次のような記述があります。
「花苗(はなみゃお)は、孟春(旧暦の初春)に男女が野外で集うことを『跳月』と呼ぶ。平地を選び、そこにヒイラギを束ねて立て、野花を飾って『花樹』とする。男女は華やかな衣装を身にまとい、蘆笙を吹き鳴らしながら歌い踊り、その周囲を三周する。これを『跳花』という。舞い終えた後、女性は好意を寄せた男性に、自身のスカーフや帯を交換して渡す。これを『換帯』と呼び、その後、媒酌人を通じて婚姻の話が進められる。結婚の決め手は、容姿の美しさによる。」
この祭りは、現在も民間の間で盛んに行われており、参加者は数十人規模の村落単位から、時には数千人におよぶ大規模な集まりとなることもあります。地域によっては「跳月」「跳場」「跳蘆笙」などとも呼ばれ、苗語では「O’d(オード)」と称されます。この言葉には、「花樹を囲んで楽しく踊る」といった意味が込められています。
跳花は、貴州省に暮らす苗族の農耕生活と密接に結びついた祭礼であり、農耕文化を基盤としつつ、伝統的な巫術文化を精神的支柱とする、もっとも代表的な民族的祝祭のひとつです。苗族の間には、「跳花をしなければ男女は家庭を持てない」「跳花をしなければ稲は花を咲かせず、実りも得られない」といった言い伝えも残されており、跳花が生活と文化に深く根ざした重要な儀礼であることがうかがえます。
Photo By 六枝融媒
苗族の祖先と跳花節の由来
むかしむかし、武陵山地(現在の湖南省西部から重慶市南部にかけて)に暮らしていた苗族の祖先たちは、険しい山々に隔てられ、集落も点在していたことから、互いの交流はきわめて困難でした。
しかし、そうした過酷な自然環境のなかで、彼らは知恵を尽くし、たび重なる天災や外敵の侵入に果敢に立ち向かい、それらの脅威を乗り越えてきました。
やがて彼らはこの地に居を定め、たくましく生き抜きながら、独自の暮らしと豊かな文化を育んでいったのです。
このような歴史の中から、苗族は他の民族とは異なる、豊かな伝統と文化を築き上げてきました。
現在の「跳花節(ちょうかせつ)」は、苗族がかつて雷公山(貴州省雷山県にある名峰)での外敵の包囲を突破し、勝利を収めたことを記念し、その勇敢な戦いを再現する祝祭として、この跳花節が伝えられてきたとされます。
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跳花節には、さまざまな伝説や物語が語り継がれています。若い男女の感動的な恋物語、祖先に子孫の繁栄を願う祈り、亡き親族への追憶、さらには古代の戦神・蚩尤(しゆう)を祀る神話など、その内容は実に多彩です。
なかでも蚩尤は、苗族の祖先神ともされ、中国古代神話に登場する軍神で、黄帝と戦った伝説を持つ英雄的存在です。苗族の間では、彼の勇敢さと力強さを象徴とし、民族の守護神として崇められてきました。
長い年月のなかで、こうした多様な起源や信仰は次第に融合し、現代においては、跳花節は特に若者たちにとって、互いに出会い、絆を深める絶好の機会となっています。苗族の若者が自由に恋愛を楽しめる、最も象徴的な場でもあるのです。
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跳花坡の起源にまつわる伝承
深い山奥の原始林で暮らすある苗族の老人によると、戦乱の時代、苗王は敵軍に追われ、ついには四方を包囲されてしまったといいます。絶体絶命の状況の中、苗王は屈強な若者たち数名を選び、包囲網を突破して他の苗族の集落へ援軍を求めに行くよう命じました。
当時の山中は、野獣が頻繁に出没する危険な環境でした。若者たちは身を守るため、蘆笙(ろしょう/ミャオ族などが古くから使う竹製の多管楽器)や三目簫(さんもくしょう/三つの指穴をもつ竹笛で、蘆笙より簡素ながら澄んだ音色が特徴)といった楽器を携えて山へ入ったといいます。彼らは、山中で獣の咆哮を耳にすると、こうした楽器を吹いて大きな音を響かせ、野獣を驚かせて遠ざけていたのです。
若者たちは、行く先々の苗族の寨(ざい/集落)で、温かく迎えられました。娘たちは手に甘酒を携え、来訪した若者たちを歓待しました。そして、次なる集落へと援軍を求めに旅立つその時、娘たちは心を込めた苗族の歌を歌い、優雅な踊りを披露して彼らを見送りました。こうして、若者たちに精神的な支えと勇気を与えるとともに、自らの想い――愛や憧れの気持ち――をそっと伝えていたのです。
このような物語は、箐苗(けいみゃお/ここでいう箐苗とは、長角ミャオ族を含む山間部に暮らす苗族を指す俗称のひとつです)によって語り継がれてきた「跳花坡(跳花節)」の起源にまつわる伝承のひとつとされています。
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跳花会の舞台となる「跳花場」
長角苗族の跳花会は、「跳花場(ちょうかじょう)」と呼ばれる広場で行われます。三方を緩やかな斜面に囲まれた円形の空間で、直径はおよそ二百メートルほど。その広場は、長角苗族の伝統が色濃く残る集落・隴嘎寨(ロンガーザイ/Longga Zhai)の近くに位置しています。
同寨は、跳花会の参加者や道具の集結点として重要な役割を担う集落である。かつては農作物も育たない荒れ地でしたが、現在では周囲を高くそびえる松の木々に囲まれ、静寂と神聖さに満ちた空間へと姿を変えました。この地はまた、村の長老が亡くなった際に「打嘎(ターガー)」と呼ばれる長老の死を悼み、その霊を丁重に送り出すための弔いの儀式が執り行われる場所としても知られています。
毎年旧暦の1月10日になると、梭嘎(スオガー)地区にある12の苗族の集落から老若男女がこの地に集い、跳花節を盛大に祝います。その賑わいに惹かれて、多くの観光客や研究者も遠方から訪れ、祭りは一層の盛り上がりを見せます。
跳花節は、若者たちが互いの想いを確かめ合い、心を通わせる場であると同時に、12の集落に暮らす苗族同胞たちが親睦を深め、絆を確認し合う大切な交流の場でもあるのです。
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祭りの準備と内容
旧暦の1月1日から、長角苗族の十二の集落では、若者たちによる「走寨(ゾウザイ)」と呼ばれる交流行事が始まります。これは、若者たちが他の集落を訪ね歩き、交流を深めながら将来の伴侶を探すという風習です。女性は自宅で来訪を待ち、男性は仲間と連れ立って、自分たちの集落から順に周辺の村々を巡っていきます。
老人たちの口承によれば、 40~50年前の若者たちは頭に木製の角をつけ、新調した衣装をまとって走寨に出かけていたといいます。寒さをしのぐために上着を羽織ることもありました。また、それぞれが得意とする民族楽器──蘆笙や三目簫、口弦琴(口元で弾いて音を出す小さな楽器で、素朴ながらも味わい深い音色が魅力)などを携えていました。
習わしでは、走寨は昼過ぎから始まり、夕暮れ時に相手の女性の家へ到着するのが一般的です。ただし、話が弾んだり、歌の掛け合いが続いたりすると、夜遅くまで及ぶこともあります。
一方で、若い女性たちは、ろうけつ染めや刺繍を施した華やかな民族衣装に身を包み、木製の長い角を頭に載せ、首飾りやスカーフで全身を美しく装います。彼女たちは集落の外には出ず、数人から十数人の仲間とともに自宅や近所の家に集まり、かまどを焚いて若い男たちの訪れを静かに待ちます。
旧暦の1月4日から14日までの期間、男たちは走寨を続けながら、女たちと「歌垣(うたがき)」と呼ばれる歌のやりとりを行います。昼間は山の斜面で歌い合い、夜になると男たちは女の家の玄関口に立ち、歌の勝負を挑みます。男が歌垣で勝つと、女は戸を開けて彼を中へ招き入れますが、もし男が負けた場合には、馬の鞍を背負わされたり、唐辛子を舐めさせられたりするなどの罰ゲームを受けることになります。
男が家に招かれると、まずその家の年長者にひざまずいて挨拶をし、年長者もまた丁重にもてなします。続いて酒宴が開かれ、酒を酌み交わしながら親交を深めます。酒宴の後も歌垣が続き、歌を通じた交流が2~3日間にわたって繰り広げられます。こうした時間を経て男女双方に好意が芽生えれば、男は女の家に5~6日間滞在することが認められるのです。
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跳花節の風景と習わし
跳花節の期間中、若い男女は近くの山や丘に出かけ、蘆笙を吹き鳴らしながら歌垣(うたがき)を楽しみます。もし男性がどうしても歌で女性に勝てない場合は、別の寨(集落)へ行き、仲間に助けを求めることもできます。
昼間は山の斜面で歌を掛け合い、夜になるとクルミの木の下で月を眺めながら再び歌垣を行います。もしお互いに好意を抱くようになれば、想いのしるしとして、刺繍入りの巾着や花模様をあしらった草鞋(わらじ)を贈り合います。
跳花は、古くから昼食後に行うのが習わしとされています。これは、集落間の道のりが険しく、多くの村が跳花場から離れた場所にあるため、他の集落の人々が無理なく到着できるようにとの配慮から定められた時間帯です。
夜明け前の早朝から、集落の人々は祭りの準備に取りかかります。なかでも「花樹(かじゅ)」を立てる作業は、最も重要な儀式のひとつとされています。花樹は美しさと吉祥の象徴であり、年長者たちは「花樹のように、子や孫たちが健やかに育ち、豊かに暮らしていけますように」との願いを込めて設置します。
花樹には枝葉の茂った杉の木が用いられ、高さはおよそ3〜4メートル。幹の皮は剥がされ、ペンキを塗ってつややかに仕上げられます。上部には赤い布が一枚吊るされ、幹や枝には無数の赤い紐が飾られ、華やかな姿となります。
かつては、花樹の枝に爆竹や赤い布切れ、飴、さまざまな甘菓子などが吊るされていたといいます。こうした飾りは、子どもや若者たちにとっても祭りの大きな楽しみのひとつでした。
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花樹を囲む人々と、跳花節のクライマックス
花樹が立てられ、十二の集落から人々がほぼ揃うと、いよいよ跳花節の舞が始まります。蘆笙の音色に合わせて人々が輪になり、花樹のまわりで踊り出すと、祭りは一気に最高潮へと向かいます。蘆笙の響きが山あいにこだまする中、各集落が順番に演奏を披露し、その音色を競い合うように奏でます。すべての演奏が終わると、さらに独自の芸を披露する集落もあり、祭りの熱気はいっそう高まっていきます。
舞いや演奏のあとは、「花樹を送り出す」儀式が執り行われます。かつては、長年子どもを授からずにいた四十歳を過ぎた夫婦に、「花樹を授かる」資格が与えられたとされ、この風習には子孫繁栄や幸運への願いが込められていました。
跳花が終わると、人々は花樹に結びつけられていた赤い紐を手に取ります。この紐を自らの子どもに巻いてあげると、「健やかに育つ」と信じられており、祭りの締めくくりとして大切に受け継がれています。
跳花節は、長角苗族にとって一年で最も盛大に祝われる祭りです。なかでも若い男女にとっては、恋心を育む大切な機会でもあります。山あいで繰り広げられる歌垣を通して互いに惹かれ合った男女は、後日、市場などで再会した際に、男性が餅や贈り物を手にし、それを女性に手渡すことで、自らの想いをそっと伝える――そんな素朴で美しい風習が今も受け継がれています。
夜になると、結ばれた若いカップルたちは集落の一軒に身を寄せ、夜明けまで歌を歌い、語らいながらともに時を過ごします。やがて迎える旧暦の1月10日――跳花節の最高潮の日には、恋仲の男女が祭りの中心に据えられた花の御柱(花樹)のまわりを何度もぐるぐると回るという風習があります。ふたりでこの花樹のまわりを巡ることで、その恋が実を結ぶと信じられているのです。
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長年にわたり受け継がれてきた長角苗族の跳花節は、豊かな民族文化の一端を表すものであり、長角苗族の人々の温かく親しみやすい人柄をも象徴しています。10日間にわたる祭りのあいだ、各集落の交流はより活発になり、民族の絆や団結力はいっそう深まります。
同時に、跳花節は未婚の若者たちにとって、恋を育むまたとない機会でもあります。かつては経済的な事情から定期開催が難しい時期もありましたが、1992年以降、省・市・特区の行政による積極的な関与と支援を受けて、跳花節は年を追うごとに盛大に催されるようになりました。
現在では、箐苗(けいみゃお/貴州省南西部の山間地に暮らす苗族の一支系)にとどまらず、他の民族もこの祭りに参加するようになり、より開かれた文化交流の場として発展しています。民族色あふれる蘆笙の舞いや、長角苗による「団結の舞」などは、国内外の観光客や多くのメディアの関心を集める、祭りの大きな魅力のひとつとなっています。
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開催時期
跳花節は、旧暦の1月4日から14日までの10日間にわたって開催されます。なかでも最も賑わいを見せるのが、1月10日の「跳花坡(ちょうかは)」の日です。
この日、十二の集落に暮らす長角苗族の人々は、色とりどりの民族衣装に身を包み、それぞれのグループに分かれて跳花場に集まります。男性たちは蘆笙を奏でながら優雅に舞い、女性たちは円や半円を描くように並び、跳花場の中央に立つ花樹を囲んで、軽やかな踊りを繰り広げます。
この盛大な祝祭のなかで、長角苗族の若者たちは跳花を通じて交流を深め、蘆笙の音色に導かれるように歌垣を交わしながら、自由な恋愛のひとときを楽しみます。跳花場とは、もともと未婚の若者たちが出会い、良縁に恵まれることを願って設けられた、特別な場でもあるのです。